ピラミッドの石の証人による証言と預言

              聖書研究シリーズ『王国は来たりぬ』より

P.337
時のご計画に関する大ピラミッドの証言

内部構造

 スコットランドのロバート・メンズィ氏は、大ピラミッドからの教えについ てそ
の宗教的な特徴・メシア的な特徴をスミス教授に手紙で書いている。

 「大回廊」の北の端から上に向かう距離1インチは一年を表わしていて、
「救い主」の生涯の始まりが分かる。「井戸」の真上から「大回廊」までの
距離は33インチである。

 その通りだ。「井戸」が重要だ。「井戸」は主の死と埋葬だけではなく、その
復活も表している。「井戸」とその先端の周辺は爆発で開けられたようだ。「主」
は死の束縛を爆破し、生命と不滅を明るみにし、新しい生きる道を開いた(ヘ
ブル10:20)。イエスが死に支配されているはずはない(使徒2:24)。それはこ
の「井戸」の開口部の壊された岩で表わされている。「井戸」は大ピラミッドの
複数の上向きの通路に接近するための唯一の通路であるから、堕落した人
類に とっては「救い主」の死と生命に至る唯一の大通りである。そこに「大回廊」
があるのだから、ユダヤ人や律法は生命の道として存在し、その道から外れら
れない道である。堕落した人間は、一人としてその道を歩いて命に達すること
はない。「律法を行うことによっては、すべての人間は義とせられない」(ローマ
3:20)。「象徴しているものとは「井戸」のどこにあるのか。贖いは、罪を宣告さ
れた人類が神のご計画(永遠の命)という壮大な備えに到達できる唯一の道
である。
 スミス教授が「大回廊」はクリスチャンの天命を表していると暗示するまで
は、天文学者の観測からピラミッド建設の日付は紀元前2170年と確定していた。
「大回廊」の床面のインチ数は年数を表しているというメンズィ氏が暗示した
とき、それが正しいなら、「大回廊」の底辺から床面までの寸法や「大回廊」か
ら「上昇通路」と「入口通路」の接続点までの距離や「入口通路」からピラミッ
ドの入口までの距離の中には一致しているしるしがあるはずだ。そしてピラ
ミッドが建設された年とインチ数が年数を表すとする説を証明しているに違い
ない。理に合わないにしてもこれは重要な試みであり、技術者は何度も大ピラ
ミッドを訪れ、通路や部屋の正確な寸法を測った。それは1872年に行われた。
この紳士の報告によると、「入口通路」の壁には十分に規則的な外形線があり、
2170.5インチの床面があると示している。だから建設の年は二回にわたって確
定した。歴史と年代学の巻物がこの通路の外形線の寸法を表しているらしいの
だが、その巻物こそは「エジプトの地における「主」の証人」だ。
 スミス教授が正確な全通路の測定をなさったことに感謝する。この「証人」
の最も興味深い特別な証しがあったからそれができた。
 大ピラミッドの証しを評価するに至るとき、実際、これは石による聖書だと
証明している。偉大なる宇宙の設計者の知識と知恵を反映していて、宇宙の
設計者の秘められた計画を記録しているのだろう。書かれた御言葉に十分、
一致しているに違いない。六千年の世界の歴史の終わりまでピラミッドの秘密
が隠されていた。今や千年期の始まりとしての証しが与えられ始めた。それは
書かれた御言葉と完全に一致する。神の栄光のご計画に関する豊富な証言は、
世の始まりから秘密にされてきたが、今やその完全な性質と栄光に光が当た
り始めた。
 以前のシリーズ・章で示してきたが、「世の君」とその忠節な者の統
治から「正 しい者」とその忠実な聖者による統治に交代している。そ
れは千年期から始ま る新しい時代の幕開けを示している、それは書か
れた御言葉を明瞭に証ししている。この交代から素晴らしい恵みとなった
のであるが、現代の君(「強い人」) は縛られ、その奴隷は追い出され
るが(マタイ12:29、黙示録20:2)その時が 大患難の時であろう。ここ
まで書いてきた、聖書的な時の証言によれば、キリ ストの再臨の時(
1874年の10月)から大患難が始まっている。その時、「王の日」の明
白な力によって国々への裁きが始まる。大ピラミッドの中にそれが 示さ
れている。
「穴(ピット)」と「地下の間」に通じている「上昇通路」は一般的に
大患難の時に世のたどる道筋を表していて(この世の君の下で)このとき
サタンは死に至る。もし、正確な日付(ピラミッドが建てられた時)が分か
るなら、患難の穴に到達するときの期間の推定は容易にできる。「上昇通路」
と「大回廊」の接続点にある日付のしるしが分かっている。それが「主」、
イエスの誕生日のしるしだ。その接続点から33インチ離れた「井戸」は死の
日を示している。「上昇通路」と「入口通路」の接続点の距離を測れば、下
降のしるしとなる、確固たる日付が分かるはずだ。その距離は1542インチ
であり、紀元前1542年を示している。「穴(ピット)」の入口への距離を測
るために、その接続点と「入口通路」の距離を測るとそれは大患難と世の
終わりの時を表わしていて、そのときサタンは投げ落とされる。それを測
ると3457インチであり、紀元前1542年からの3457年を象徴している。紀元
前1542年に1915年を足すと3457年になる。1914年は国が始まって以来、経
験しなかったような患難の始まりの年のしるしになると、ピラミッドは
証言している。この石の「証人」は聖書の証しを裏付けていると気付かさ
れる。聖書研究シリーズ第二巻7章の「平行した摂理」に示した通りだ。
 患難はその瀬戸際にある、差し迫った段階に至っていないのだから、1874
年の秋に「収穫」の40年が始まったに違いない。その時以来、収穫の時に
は知識の大いなる進歩があるからだ。「穴(ピット)」の図など、ピラミッ
ドの数字と図表はスミス教授の説を適用せずとも描かれたことも忘れないよ
うに。
 忘れてはならない――大患難の時の裁きは、名ばかりの教会が投げ捨
てられるがそれに立ち、資本家と労働者の自己本位の闘争が始まる。主
の御言葉がそれを明らかにしている。資本家と労働者は今や最高潮に達
した患難のために組織されている。
 最も低い位置にある「穴(ピット)」の形状と仕上げ方は特に意義深い。その
側面と頂点は方形である。床はない。荒削りで滑らかに仕上げられていない穴
が、東に下っている。「底なしの穴(ピット)」と呼ばれるゆえんである。この小部
屋は患難のほかに自由と解放を語っている。下降しているし、上昇もしている。
「入口通路」の幅は狭いから、旅行者はかがめる姿勢を取らなければなら
ない。でこぼこしていて、破壊された跡のある奥行きのある奥部に下る階段を
過ぎて、「やっかいな床」の上に達する。そして広い高台に付く。通路よりも高
い位置にある部屋の一部だ。観念的な人にすれば異様に拡張された小部屋
を連想させる。
 これはどれほどまともなのか。すでに文明国では自由の精神が一般大衆に浸
透したことを分かっていないのではないか。大衆が自由を獲得し、一貫した自
由の主張と不一致を考えることをためらってはならない。それは底辺の窪みと
頂点にある高台によって暗示されている。現代(主の日)の知識が自由の精神
を増長させていることに注意されたい。思い上がりと金持ちと権威から生まれ
る自由の精神は聖書が裏付けている患難の原因となるであろう。かろうじて始
まったのに過ぎないが、王や皇帝、政治家、資本家らは差し迫っている様を知
っていて、「人々の心は恐れを持たない。時が満ちてから気がつく」。天の権力
は揺り動かされ、ついには取り除かれる。サタンの世の宗教と社会と文明の邪
悪な体制は忘れ去られ、滅ぼされる。「地下の間」や「穴(ピット)」はそれを
象徴している。「穴(ピット)」は投げ捨てられ、滅ぼされる現代の事物の体制
の滅びを象徴しているだけではない(神の王国で実現される次善の事物の体
制と一致していないから)。下降への道筋をたどる者及び罪の行いをしても
義を求める者の確固たる終末を象徴している。
 次の点も考慮に入れてみる。「入口通路」には坂を上りきってから水平にな
る所がある。そこから「穴(ピット)」に近づくまでに下向きの坂がある。「地下
の間」の入口からその水平な接続部までの距離を測るとそれは324インンチ
である。つまり、通路が平らになるところは1915年の324年前、1590年を示し
ている。その年(1590年)には特別に文明化を促すような霊感が働いたのだろ
う(その年に下降を止めた)。どのような霊感を受けたのか。その年、しるしと
なるような大きなうねりが世を揺り動かしたのだろうか。
 不幸にもこの下降する通路の正確な距離は分かっていない。スミス教授の
図は、信頼に足るとまでは言えないと確信した。確認されていない寸法は324
ピラミッド・インチである。これは1590年、シェークスピアの時代の頃を示してい
る。ここではその暗示は重視しない。
 ひとつだけ確かなことがある。上向きの通路はいわゆる「教会」の道
筋を表しているのだから、下向きから平らな道への変化は道徳的、政治
的な啓発あるいは下向きの道筋が抑制されたことを暗示しているらしい。
16世紀の宗教改革は、間接的には世界各地に高揚感をみなぎらせる結
果となった。道徳的な無知と迷信がはびこる町の雰囲気を一掃し、プロ
テスタントも、ローマカトリックと共に間違いなく、地球的規模で発展
し、新しい時代に入った点では特筆に値する。
 現代の事物が下降ぎみではなく、上に向かっているのだと言っている
のではない。神のご意志に一致しているというのではないが、逆に現代
の事物は文明化していても手放しでほめられるものではない。「主」
イエスの宗教からはあまり関係はないが、過去には無知と迷信がはび こって
いた世界にあって、広範囲で「ヒューマニズム」が見られる。
 実際、「革命理論」が勃興し、世は急速に良くなっていると多くの人た
ちが思っているが、それは世の社会的な進歩である。それには「救い主」
を必要としないし、復権の働きを伴う王国も必要でない。単純な利己心を
基礎とする高揚感は、不満分子を増やし、結局はアナーキーの世界になり、
貧者の世界は知るだろう。御言葉に導かれた、「主」の民は立派な知識
があるからこれらの出来事が分かる。
 今まで書いてきた上記の寸法は調和していると証ししているが、その他の寸
法は聖書とは調和していないようだ。「上昇通路」の寸法はたぶん、出エジプト
の年から「主」の誕生までの期間を表していのだろう。すでに見てきたように、
聖書に書かれたその年は、長い間、正しく示されてきたのは間違いない。「上昇
通路」の床面は1542インチであるが、出エジプトの年から西暦1年までは1614
年である。「主」と預言者のことばによると、律法の時代でもイエスの誕生を制
止できなかったのは間違いない。イエスの死の3年と半年後は西暦36年であ
る。ご好意の70週の終わりである。これは出エジプトとイスラエルへの恵み
が終わる時までの1650年である(1614+36)。ある意味、恵みある統治はイエス
の誕生(ルカ2:10-14,25-38)で始まったが、大ピラミッドはイスラエルの恵
みの期間を十分、示しているに違いない。ついに巧みに示されていることが分
かった。花崗岩の「栓」はこの期間の正確な長さを証明している。誰でもそれ
をどかせなかったほど栓がなぜそれほど堅く固定されていたかが分かる。聖書
を確証させてくれる、神のご計画とその年代学の証拠物件が知られるようにと、
偉大な建築主がその栓をそこに配置したのだ。
「栓」の上の端は初めから底辺に印が付けられていたらしい箇所までである。
栓をしている通路を測ると、通路は望遠鏡の形をしているらしい。「大回廊」の
北口から花崗岩の「栓」までの長さは1470インチであり、「栓」の長さ179イ
ンチを加えると合計1649インチ(年)になる。聖書年代学によれば、1649年
と1650年の差は簡単に計算できる。この花崗岩の「栓」は通路のこの位置に
固定しようとする人が削った物である。
 まさしく、「証人」の石は聖書と一致している。出エジプトからイスラエルへ
の恵みが終わるまで(西暦36年)は1650年だったと示している。ユダヤ人の
統治の期間とクリスチャンの統治の期間は誰も疑わない。これら両者の期間と
も1845年であり、一方はヤコブの死から西暦33年までであり、他方は西暦33
年から1878年までである。
 まるで出エジプトから「主」の誕生の期間を秘密にしたり、公にするという
独創的な方法であるようだが、賢明な読者ならこの二つの出来事はこのよう
にしないとできないのであり、それは二つの理由で起きたことが分かるだろう。
第一には、ユダヤ人の統治と神の恵みはヤコブの死から始まっただけではなく、
33年にわたる「主」の生涯の始まりというクリスチャンの体制の始まりに平行
しているからである。二つ目の理由は「第一上昇通路」の長さは年-インチでユ
ダヤ人の年代を十分に表現するためにピラミッドをより大きくする必要があった。
結局、科学的な意匠と教訓をないがしろにしている。
 ここで「上昇通路」の終端にある「大回廊」を吟味してみよう。それも証し
を象徴している。この「大回廊」の高さは「上昇通路」の高さの七倍である。
壁は滑らかで、よく磨き上げられたクリーム色の石灰岩でできている。細長い
空間で、高さは28フィート、幅は6フィートであり、床面は3フィートと狭くなる。
オックスフォード大学のグレーブ教授は次のように書いている。

最も壮麗な建物であり、探究心をあおるような技巧と贅沢な部材の使い
方からして、とても威厳のある技術をかいま見せている。この回廊(狭い
通路)は磨かれた、白色の石灰岩でできている。それは広々とした広場
やテーブルの上で均等に切断された。それは敷石になり、天井になり、
壁になった。接合面は認識できないほど密に接している。そのため滑り
やすい通路であるが、豪華な要素を付け加えている。……私の視点か
ら見ると、壁の両側の石灰岩には建築学の片鱗がうかがえる。互いに
3インチに配置され、敷き詰められている。次の頂点と重ねあわされ、
登るときの踊り場となる。

スミス教授は絵で説明できないと断言している。

一定の狭い幅、天井、長い床にある非常に奇異な急勾配からして、
常識の域を超えている。北の方向から南の方向に床面を見れば、床
面は暗闇の中を上っている。遠くにある終端は見えない。どんな美術
家でも、キャンパスの上に細かくは描けない。「大回廊」の南の端から
北方向を見れば床は目に入らず天井が見えるだけだ。天井の高い壁
が重なり合い、荘重な感じがする。不安定な坂の上に取り付けられて
いる。汗だくになって進むにしろ、危険な感じがする。持久力を試される。

 とてもすばらしい説明をしてくれている。「大回廊」には本物のクリスチャン
教会の道筋と長い福音の時代の「勝利者」の小さな群れの道筋が描かれて
いる。白い壁と天井。規則正しく重なり合う石、上にのびる坂――これらは
名前ばかりの教会の歴史を刻んでいない。それらは福音の時代に授けら
れた神の偉大なる恩寵、特定の特権への神の召しを伝えている。福音の
時代、条件付きで罪を赦され、贖いによって幕を開けた召しを伝えている。
「大回廊」のこの異常な高さは、ユダヤ人の宿命を表している通路の7倍
あり、アブラハムの約束にこめられた恩寵の成就を表している。それは福
音派教会の前に実際に示されている。「大回廊」の行き着く先にある「王の
間」は人類の終わりを表す。この「王の間」はすべての忠節な民を導く召し
の締め切りを表し、教会の究極の運命をもっとも適切に象徴している。「大
回廊」の入口にある「井戸」は贖いを象徴し、義を美しく象徴している。大ピ
ラミッドは「キリスト・イエスにある者への罪の宣告はない」と伝えている。
 延々と続く「大回廊」の長さは、教ハス会員の目の前にある福音時代の長
さを示している。一方「大回廊」の狭さは「命への道の狭さ」を表している。常に
見張りをしない者が負う、不履行のリスクを表している。壁の端にはね絶えず
善行をする者の安全がある。その者は栄光の内に成長し、困難な道を登り、
「肉の内に歩まず、霊の道を歩み」続ける。
「大回廊」を見上げると、始まりと共に終わりが見える。福音の時代の特権、
キリストの子孫への素晴らしい召しはいつの日か終わる(召しを受ける「小さ
な群れ」の数が十分に満たされる時)。石の「証人」は絵で指摘している。書か
れた御言葉を平易にしている。「召し」を求める特権はことことく、福音の時代
に属するとしている。誰にでも贈られるものではない。犠牲の条件を初めて受
け入れたイエス。「大回廊」の北の端は神の恩寵の始まりのしるしとなり、「大
回廊」の南の端は神の性質への神の召しの終わり(または限界)のしるしであ
る。スミス教授は絵で説明できないと断言している。
「大回廊」は神の召しを表しているのだから、個々人はどのように召されるかを
予想できよう。聖書では、キリストと共に死に、キリストの栄光に入るために
キリストと共に苦しみを受けることを命じられている。すべて「大回廊」の先端で
入口が「王の間」に達している造り方に象徴されていることが分かった。召さ
れた者が天の栄光に入る造り方をしている。すべて試みられないといけない。
神のご意志に忠実だと知られるはずだ。さもないと残りの者に入らないという
聖書の教えは大ピラミッドに力強く描かれている。召しは秘密にされ、犠牲の
教訓であるから、「大回廊」はそれを象徴している。訪問者が低い通路につながる
「大回廊」の先端に着くと、「控えの間」につながって入る玄関口で腰をかがめ
なければならない。かがんだときの低い姿勢は、秘密(人間の意志の死)の
象徴である、献身の始まりであり、神の性質を達成している、された人の象徴
である。献身の仕方は、召された者、実際に人間の意志を捨てた者、全員が
知っている。



  低い場所を抜けると、「控えの間」と呼ばれる所に出る。石灰岩はこの場所の
床で尽きる。ここから先は花崗岩でできている。新しい地位、即ち「新しい被
造物」の場所だ。花崗岩の床に踏み入れると、新しい被造物としての所に入る。
すると花崗岩でできた巨大な障害物に突き当たる。それは「花崗岩の蝶番」だ。
道の一部をふさいでいる。人一人だけしか通れない狭い空間が開いている。高
さは4.4インチだ。「控えの間」で表されている特権を十分に享受する前に腰を
かがめなければ前に進めない。この「花崗岩の蝶番」は神の御意志を表してい
る。神の御意志の受け渡しを意味する低い通路を通った者と見なされるだろう。
「君の意志と計画と予定を犠牲にするだけでは十分ではない。他者の意志と計
画を援助しても良いが、神の御意志に従い、受け入れ、新しい被造物と見なさ
れるには、神の子孫となる前に熱心に神に奉仕しないといけない」。
「花崗岩の蝶番」を過ぎると、「控えの間」の花崗岩の床の上に出る。ここは特
別な部屋だ。壁がほかとは違う。所々、羽目板があるようだ。壁には所々、溝
がある。十分に解明されていない教訓らしい。そこに居た者によると、教室の
ようだ。「真理」を生んで犠牲となった者の経歴を証明しているようだ。完全に
調和している。この「控えの間」はキリストの学校とその弟子を象徴している。
神の御意志に献身する者への信仰の試み、忍耐、苦難など……。彼らには苦
難を乗り越える機会がある。来るべき栄光の時代にキリストと共にいる価値を証
明している。そのような訓練や試みがなければ神の子ではない(ヘブライ12:8)。
神が我らを訓練し、契約に従い、調節を保つか試みるだけではなく、試みや患
難に遭っているほかの者と同調する準備をする。その者は我らを統治し、裁き
をする(コリント第一6:2,3)。
 新しい「神の性質」の状態に入る前に、意志を捨てるだけでは済まない。実
際に死ななければならない。これは石の「証人」によって示されている。「控え
の間」の先端には「王の間」に達する低い通路がある。「王の間」はピラミッド
の中で最も高い位置にある堂々とした部屋であり、「小さな群れ」(多くの者か
ら選抜された少数の勝利者)によってこそ達成される神の完全な性質を象徴し
ている。彼らは(控えの間)とその回りの狭い通路によって象徴される)献身
と試みに合格する。「神の性質」への召しは初めは「主」イエスに届いた。イエ
スの使命は二つあった。@アダムのための贖いの対価を払って罪人を救う。
A死地に赴いて神の性質と栄光を受ける価値があることが証明される。我ら
の「主」の誕生のとき「大回廊」が始まりであると示される。「大回廊」は福音の
時代の象徴ではない。イエスの誕生から33年後、イエスが十字架の上での
犠牲によって律法時代を終わらせるまでは福音の時代は始まらない。神の
召し(「王の間」)の象徴である。イエスの誕生の瞬間からイエスには召しが
あった。ペンテコステから義とされた信徒には優れた特権と召しがあった。犠
牲を受け入れたのは少なかったが、「主の足跡を歩む」に従い、召しと選抜を確信した。
すでに書いたように、神の性質への召しが続く期間は「大回廊」の長さと終点
が示している。
「王の間」に入るには「大回廊」と「控えの間」を通らないとならない。「王仁
間」は大ピラミッドの中で最も高貴で威厳のある部屋だ。神の性質の象徴であ
る。ヘンリー・ゴールドン氏は次のように書いている。

それはとても威厳に満ちた部屋だ。長さ34フィート、幅17フィート、
高さは19フィートある。全体は磨き込まれた赤い花崗岩だ。
壁と床と天井は正方形に型取りされ、現代の専制君主であってもこれ以
上は磨き上げることなどできそうもないほどの技巧を駆使し、正確
に相互に石を組立てている。この部屋にある物と言えばたった一つ
しかない。花崗岩でできた、ふたのない空の石棺である。その容積
はモーセの時代の幕屋の聖櫃に相当する。

  黄金がイスラエルの幕屋や神殿の象徴であるのと同様、大ピラミッドの中で
は花崗岩は聖なる物、神の性質を象徴する物として使われている。「控えの間」
に通じる低い通路は、至聖所の前にある覆いに対応している。「王の間」にある
唯一の家具である花崗岩の石棺は、至聖所と神殿に唯一、存在した聖櫃に対応
している。一方は花崗岩でできていて、他方は黄金でできている。両方とも、
象徴としては同じである。
  これで終わりではない。幕屋と神殿、聖所と至聖所とそれらを分離している
覆いは「控えの間」と「王の間」とそれらを分離している低い通路から成る大
ピラミッドと正確に一致している。同じく偉大なる真理が発見できる。幕屋の
聖物と同じく、「控えの間」は神の栄光あるキリストの子孫、新しい被造物とし
ての神との関係の状態を表す。罪が赦され、贖いによって神と和解する後に、
生涯をかけて神に奉仕して義認されることを表す。幕屋の最も重要な覆いは忍
従とか、自分の意志の終焉とか、神の御意志に対する服従を示しているように、
「控えの間」に至る低い通路は、壮大な出来事の象徴である。忠実な聖職者の
一員となる者が生まれ変わる第一歩である。
  聖体の上に横たわる様を表している「試み」に合格し、信徒はもはや人と見
なされない。「新しい被造物」だ。「神の性質に与かる者」だ。現代の日常生活
の中での経験や犠牲や訓練の中で神の御意志への忠節の訓練を信心深く学
ぶまでは、神の性質に与かる者にはなれない(それは「控えの間」にある独特の
壁の造り、幕屋の聖所にある金の燭台、祭壇に表されている)。死んでから合
格するまで(それは幕屋の2番目の覆いとピラミッドの「王の間」にある低い通路
に表されている)第一の復活に与かり、約束された神の性質と栄光が成就して
キリストと共に歩んでいるはずだ(永遠に相続する。「王の間」の象徴である)。
神の御計画には罪人の下降だけではなく、生きる中での堕落からの十分な回
復のための準備によって神のご計画に参加する道もある。それは「主」イエス
の死と復活によって幕を開けた。大ピラミッドはそれを証言している。
  図で分かる通り、花崗岩の床は「控えの間」の前面まではつながっていない。
一方、天井の花崗岩は部屋の奥にまで達している。訓練を教えているらしい。
神の御計画の特徴と見られるものと調和している。神の召しを求めてはいても
「召されない者」に関係しているからだ。低い通路は信者の意志の専心の象徴
である。栄光と不滅の相続者の身分の者として、「聖所」に入らせてもらうから
だ。花崗岩の天井はその者を覆う。その者は生まれ変わりと活動の刺激がある
までは新しい性質に入れてもらえないとは考えられない。この試みは「花崗岩
の蝶番」によって表される。「蝶番」は垂れ下がっていて、前進を拒んであるよ
うな独特の位置にあり、こう言っているように見える――「巡礼者よ。君がこ
こに来ても、神を崇拝しても、活発に奉仕し、真理の霊からの刺激がない限り、
本当のところ、呼ばれたり、招かれるべき神の召しに与かる立場にない」。福音
の時代に「主」の栄光の内に入る者には三つの段階が待っている。それは聖
書だけではなく、大ピラミッドにも刻まれている。@「控えの間」にある低い通
路は、真理のみ言葉による霊の子となる献身の段階の象徴。A「花崗岩の蝶
番」の下の低い通路は、真理の信仰と霊の聖別による活発な奉仕と献身の刺
激の象徴である。B「王の間」にある低い通路は、「主」の復活に与かり、霊が
「主」の完全な似姿になり、生まれ変わる段階の象徴である。

自然の性質・神の性質に続く

ピラミッドとは

ピラミッドの内部構造

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閲覧者からのメール

ラッセルの聖書研究があのようなものだったのか、と唖然としました。一つ一つ聖句を調べながら拝読しました。どう考えればピラミッドが神の証人になりうるのか、全く理解できません。これを読めば、現代の証人は頭の中が?になると思いますが、これもサタンの策略、と思うのでしょうか。翻訳者の努力がどうにか一人でも多くの証人の目に留まれば良いのですが

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原典は archive.org から Thy Kingdom come で検索すれば閲覧できます

訳者へのメールのあて先→ sunf0212@gmail.com